月夜に生まれる小さな物語 ―ロマン―
「さぁ、往っておいで」
「「Oui,mousieur」」
―其処に物語は在るのだろうか?
† † † † †
主に代わり物語を捜し続ける人形―ヴィオレットとオルタンシアを送り出したイヴェールは、一人バルコニーから月を見上げていた。
生まれてくる前に死んでゆく彼の世界にも、生ける者の世界と同じく夜はやってくる。今空高かくに昇っているのは穏やかな光を放ちながら弧を描く三日月。それは見る者をひきつける不思議な何かがあった。イヴェールはそんな月に誘われて、ふらっと何も考えずにバルコニーまで出てきたのだった。
手すりにひじをつき、しばらくぼうっと月を眺めていたイヴェールだったが、
ふと一人で月を見ていることに寂しさをおぼえた。今、この世界には自分しかいない―。
その瞬間、イヴェールの頭にある人物がよぎった。
「サヴァン・・・」
「呼んだかね?」
「え?」
そっと呟けば返ってくるはずのない返事。慌てて振り返るとそこには紛れもなく、今頭をよぎった人物―ボロボロのシルクハットにタキシード、月明かりに反射するモノクルの下で(いい意味で)胡散臭そうに笑う黄昏の賢者、通称サヴァンが立っていた。
「Bonsoir、イヴェール。いい夜だね。私でよければ君の話し相手になりたい」
† † † † †
カツ、コツ、カツ・・・
シン―と静まり返った廊下に、二人分の足音とステッキをつく音がやけに大きく響く。歩きながらイヴェールは、チラッと隣を歩くサヴァンを盗み見た。
その横顔は相変わらず何を考えているのかわからない。イヴェールはサヴァンについて、何も知らないと言っても過言ではないのだ。彼が普段何をしているのか、どこで生まれたのか、彼の本名すらもイヴェールは知らなかった。もちろんその気になれば二人の姫君を使って彼の物語を知るくらい、わけはない。しかしイヴェールはそれをしない。勝手な詮索は本意ではないし、彼が話したくなったときに聞けばいいと思っていた。
「(こちらから聞いても、どうせ上手くはぐらかされてしまうだろうし・・・)」
出会った当初ならともかく、彼の性格を多少なりとも知った今では双子を使わない限り、サヴァンから言ってくるのを待つしかないこともわかってる。
彼と初めて出会ったのはどれくらい前かは定かではないが、その日のことはよく覚えていた。
† † † † †
「はぁ・・・」
その日もまた今日のように、ヴィオレットとオルタンシアを見送ったイヴェールは、自分以外の誰も存在しない黄昏の世界で孤独と時間を持て余していた。二人嗚呼つめてきてくれた物語を読み返すも、内容は全く頭に入っていない。意味もなくページをめくってはため息をつき、どうにか寂しさを紛らわそうとする。
ペラッ
「はぁ・・・」
そんなとき、突如として彼は現れた。
「Enchadte,冬の天秤君」
ふわり、と音もなく。
「キミがその本を読み始めてから経った時間は1時間13分、分にして73分、秒にして4380秒。ページをめくった回数は16回、さらにため息をついた回数は17回だ。そんなことでは幸せが逃げてしまうのではないかね?」
まるでそこにいるのが当然であるかのように、彼―サヴァンはイヴェールの前に立っていた。
「・・・・誰?」
イヴェールはポカンと口を開け、ほとんど反射的に聞く。
「人は私のことをサヴァンと呼ぶ」
「サヴァン?」
「ああ・・・君は今寂しさを感じているだろう?」
「っ・・・・そんなこと・・・」
見事に図星をつかれたイヴェールだが、初対面の相手にあっさり見抜かれたのがなんだか悔しくて、口から出てきたのは否定的な言葉だった。
「ボクは物語を読んでた。別に寂しくなんかない」
「ほう・・・君は随分とユニークな本の読み方をするのだね」
サヴァンはあごに手をあて、感心したように言う。・・・それはもうわざとらしく。
「え?・・・・あ!!」
イヴェールは本に視線を戻すと、重大なことに気づいた。―本は上下逆さまだったのだ。
「〜〜〜〜〜〜」
カアアアアと効果音付きでイヴェールの白い頬が朱に染まる。そして声にならない声を上げ、バタン!の乱暴に本を閉じた。
するとその様子を見ていたサヴァンが不意にイヴェールの手をとり、今にも泣き出しそうな瞳と視線を合わせた。形のいい唇が滑らかに言葉を紡ぐ。
「意地を張らなくてもいい。イヴェール、愚かな提案があるのだがどうだろう?私でよければ君の話し相手になりたい」
ニコリ、とサヴァンが微笑んだ。
ズギューン
イヴェールの頭の中にどこかの恋人が射ち堕とされたような音が最大に響く。そして次の瞬間には、イヴェールはサヴァンに抱きついていた。飛びついた、の方が正しいかもしれない。
「大歓迎だよ!!よろしくサヴァン!!」
イヴェールは泣きそうだったことなどすでに忘れたかのように、眩しいほどの笑顔で言った。
この日から、サヴァンは気まぐれにやってくるイヴェールの話し相手になったのだ。
† † † † †
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